2009.03.01

万巻の書を読み、・・

董玄宰曰く、「万巻の書を読まず、万里の路を行かずして、画祖と作らんと欲するも、其れ得可けんや」と。噫、近世絶して斯の人無し。筆墨の前古に及ばざるは、固より異とするに足らざるなり。

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南画の根本は学問にあるのぢや、そして人格を研かなけりや画いた絵は三文の価値もない、俺の弟子取りをせぬ理由もコヽぢや哩、新しい画家に言ふて聞かしたい言葉は、「万巻の書を読み、万里の道を徂き、以て画祖をなす」と唯これだけぢや。(富岡鉄斎「山水画談」より)

2009.02.21

山は美玉を蔵して草木沢し

山中人饒舌上巻
大雅池翁の書画倶に高くして、時限に入らず。没後に至りて、声名隆起す。知ると知らざると無く、推して当時第一手と為す。夫れ、山は美玉を蔵して草木沢し、水は明珠を蓄えて沙石光る。実有る者の掩う可からざるや、此くの如し。豈に唯画のみならんや。

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大雅、竹田、崋山、玉堂、蕪村。江戸時代の文人画の高貴は、無私の精神を感じさせ、そして、古より連なる清らかなるものを滅してはならないという勁い志に溢れているように思うのです。



2009.02.17

「神彩・気韻」

当今の世、書画を業とする者、何ぞ数十家に止まらんや。而して胸中に書有り、能く古人の心を得て、其の跡に拘泥せず、筆法円熟、格制倶に老いて、精神迥かに出ずる者、其れ幾人か有る。人、恒言有りて曰く、「神彩・気韻」と。夫れ此の二者は、固より書画の至美なり。然れども人徒だ神采気韻の美たるを知って、其の然る所以を知らず。屑々焉として之れを筆墨の末に求む。予、其の可なるを知らざるなり。

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腹中書有り、

壺中天有り、



2009.02.16

動中に静有り、静中に動有り

凡そ天地の間に有る所を観るに、日月列星、雷霆霹靂、山水崖谷、風雲霜露より、以て鳥獣・草木・虫魚の類に至るまで、動中に静有り、静中に動有り、時に止まれば則ち止まり、時に行けば則ち行き、千変万化、陳往き新来り、其の道は光明なり。是を以て名将の兵を治むる、良医の病を療する、才子の詩文に於けるも、亦た皆な同じく此の塗に由る。務めて古人の心を求め、以て謬注の陋を去り、静には則ち其の恒を養い、動には則ち其の変を制すれば、自ら無窮の妙有り。

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いにしへの 葉陰葉隠れ 藪椿


2009.02.14

古人の心を得て、其の跡に拘泥せず

山中人饒舌序
書画を治むる者は、胸中に完局有り。能く古人の心を得て、其の跡に拘泥せず。似て似ず、合わずして合う。其の布置間架、一に自家より出づれば、則ち書画の神法、活潑に流動して、千載も窮らざるなり。若し胸中に完局無く、茫然と毫を伸ばし、只だ古跡に拘泥して、其の心を得ざれば、則ち模擬工緻と雖も、神乏しく気餒え、殆ど生色無きなり。

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かごめうた 画廊の中の 手前 奥