2013.07.22

映画「天心」

岡倉天心の映画「天心」が、この秋に公開されます。
岡倉天心 生誕150年 没後100年記念 映画「天心」公式サイト
東日本大震災の津波で跡形もなく流された茨城県五浦(いづら)の六角堂は、「五浦生」「五浦老人」「五浦釣人」といった号を用いた天心思索の場として知られています。
その六角堂を復元し、復興支援映画としてこの映画は制作されています。

津波で流される数年前に訪れた六角堂と、その断崖に打ち寄せる太平洋の白波を、今更ながらに思い出します。大震災当時水戸在住だった私は、あの日も水戸に在って、そして変わり果てた家や町の光景を目にすることになるのです。震災から間もなくして、六角堂が流されたと知りました。自分の中に、何かぽっかりと穴が空いたような気がしました。

≪偉大な藝術とは、その前でわれわれが死にたいと願ひさへするものである。≫
天心の言葉が思い出されました。

震災の日、足の踏み場もなくなった家の中の壁にかろうじて掛かっていた小さな蝋燭の絵に、私ははっとさせられました。それは私が画廊を始めるきっかけともなり、作品に出会った当初は名も知らなかった櫻井陽司さんの油彩画でした。知っているはずの絵が、全く別の絵に見えました。その絵の力、炎の輝きに瞠目させられると同時に、その絵のともしびに比べ、目の前のことに為す術もない自身へのどうしようもない腹立たしさ、無力感...。様々な感覚が一気に押し寄せ、からだが震えるのを感じました。
天心は『茶の本』の中で、武士道という「死の術」に対して、茶道という「生の術」を云いましたが、死生一如、その覚悟ということを思い、あの時、自ら進むべき道を直感しました。

天心を師とする代表的な画家に、水戸出身の横山大観がいます。彼の描いた「屈原」は楚の人、正道を往くも讒言によって国を去り、濁った世にあって我独り清む云々の辞を遺し、祖国の将来に絶望し、泪羅江(べきらこう、現在の湖南省長沙の北)に身を投じました。当時美術学校長を追われた天心の境涯と重なります。

≪今日、大量に流入する西洋の思想が我々を戸惑はせてゐる。ヤマトの鏡は曇らされた、といはうか≫
『東洋の理想』の中で天心は、藝術における日本的霊性の発顕の歴史をたどった上で、この言葉を発しています。歴史の中にこそ新しい時代の鍵があるとしても、しかし≪何か強力な補強≫≪闇を切り裂く刃のやうな稲妻の一閃≫が必要なのです。
現代においては、「ヤマトの鏡」の曇りは、西洋思想だけが原因ではないでしょう。西洋思想についても、革命思想と保守哲学と、そういうものを見極め、採るべきところを採っていかねばなりません。

大震災で大きな被害を受けた水戸偕楽園の一隅、千波湖近くの好文亭には、「何陋庵」(かろうあん)という茶室があります。好文亭の西北に附属する四畳半の草庵風茶室で、待合から茶室の入口は、躪(にじり)口ではなく貴人口で普通の障子が二枚立ててあり、貴人口より入れば正面右寄りに床、右(西)の壁に明り窓をとっています。震災前に訪れたときの、その空間全体から感じる簡素質朴さを好ましくおもいました。
水戸徳川家九代斉昭公は「何陋庵」の号を『論語』の「子曰く、君子之に居らば、何の陋か之れ有らんと」から採りました。自分の徳によって野蛮な風俗も善良に変え得るとしたそのこころに、大観が描いた屈原を想起させます。荒野をさ迷う屈原が手にしていた一本の花を。

≪マーテルリンクはもし花に羽翼があつたなら、人が近寄れば飛び去るであらうと言つた。・・・思想の花たる美術は羽翼を持たぬ。根は人生に根ざしている。美術が一時の賞玩の為に如何に摘まれ苅られ、小器の中に無理に押し込まれたかを思ふとき、私は苦しい。≫
天心の理想の壮大をおもうとき、それはこの言葉にみるような繊細さがあるがゆえのものとかんがえさせられます。

天心と同時代を生きた夏目漱石の作品に、洋画家を主人公とした『草枕』があります。これを発表後、漱石は次のような言葉を残しています。
≪只きれいにうつくしく暮らす即ち詩人的にくらすといふ事は生活の意義の何分一か知らぬが矢張り極めて僅少な部分かと思ふ。で草枕のような主人公ではいけない。あれもいゝが矢張り今の世界に生存して自分のよい所を通さうとするにはどうしてもイブセン流に出なくてはいけない。此点からいふと単に美的な文字は昔の学者が冷評した如く閑文字に帰着する。俳句趣味は此閑文字の中に逍遥して喜んで居る。然し大なる世の中はかゝる小天地に寝ころんで居る様では到底動かせない。然も大に動かさゞるべからざる敵が前後左右にある。苟も文学を以て生命とするものならば単に美といふ丈では満足が出来ない。丁度維新の当士勤皇家が困苦をなめた様な了見にならなくては駄目だらうと思ふ。≫

天心の言った「稲妻の一閃」と漱石の言う維新志士たちの困苦が連なって見えます。そして天心や漱石の「明治の精神」(この言葉は、漱石の『こゝろ』にも出てきます)をかんがえ受け継ぐことが、現代日本において大切なことではないかとかんがえています。長い歴史を貫き、受け継がれてきたものこそが、新しい時代の礎になるのではないでしょうか。「前後左右の敵」によって曇ってしまった「ヤマトの鏡」。それを先人たちが磨き続けたからこそ、今の私共が在り、そして現代において鏡を磨くのは私共自身であることを胸に、今を生きたいとおもいます。

映画「天心」は、茨城県内にて先行上映された後、11月に全国公開とのことです。
また、横浜美術館では、10月から「横山大観展 良き師、良き友」が開催されます。
いずれも楽しみです。

廊主


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ギャルリさわらび入口横の映画「天心」ポスター

※ 画廊のある奥野ビルは、昭和7年建築。手動式エレヴェーターが健在で、数々の撮影にも利用されています。


Posted at 15:28 | 東日本大震災 |
2013.03.11

ふるさとへ

東日本大震災から1ヵ月半ほどが経つころ、水戸の茨城県近代美術館では、「ふるさとを描く―いばらき美術風土記」展が開催されました。もともとは3月12日からの会期を、震災のため大幅に遅らせ、それでも復旧を急いでくれた展覧会だったのではないかと思います。

展覧会は、10日間で5000人もの人々が訪れ、この数字はそれまでの10倍近くの数にのぼるとのことです。余震が全く収まる気配を見せない中、横山大観の筑波山図や、「常陸国風土記」へのまなざしを持った小川芋銭の水郷図等々、人々は「ふるさと」へ帰るかのように、美術館を訪れたのではないでしょうか。大観の師、岡倉天心の六角堂(茨城五浦)は、津波で跡形も無くなっていました。

私がこの展覧会で、特に印象に残っているのは、藤島武二の描いた大洗の日の出図です。大洗の日の出を描いた画家は多く、また古事記などでも描かれる大洗という場所は、日本の聖地としても知られています。その絵を見て、私は素朴に、ああいいなあと思いました。何か原点に帰るようなこころもちにさせられ、力をもらった気がしました。

根源に帰る。そして、明日へ・・。


あの日、強く香ってきた偕楽園の梅花が、今年も見ごろを迎えています。
Posted at 20:21 | 東日本大震災 |
2013.03.10

末の松山

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは  (『後拾遺集』)

東日本大震災から2年。
「千年に一度」の津波。
その千年前の津波が、この歌に詠まれています。
貞観時代の津波。

貞観の大津波は、海岸の小さな松山をつぎつぎと呑みこむも、丘陵の「末の松山」はついに越えられませんでした。
泰然として変わらぬ「末の松山」のように、二人の恋ごころも変わらぬはずでしょう・・、と。

「変わらぬもの」。
弊廊の志も、其処にあります。
そして、今の時代に処す。

2年前の3月11日。
その日に、再び櫻井陽司さんの作品に出会ったことを、本年のはじめに記しました。
あの出会いは、「変わらぬもの」との再会でもありました。
忘れていたものとの邂逅でした。
「末の松山」のかがやきであると同時に、
今という時代を照らす灯でした。

昨年、櫻井さんのご子息様が逝去され、そのご遺志にしたがい、皆様のご協力を得ながら、作品保全、資料整理等すすめてまいりました。アトリエは取り壊され、跡形もなくなりましたが、絵の具跡が残っていた床の一部を、櫻井さんと懇意だった大工さんに、取り壊し直前に残してもいただきました。毎週のようにアトリエに通っていたときは、取り壊しまでに整理がつくか甚だ不安でした。今思えば、「変わらぬもの」を守りたい一心だったのかも知れません。その受け継ぎこそが、新しい時代にかがやくのだから・・。


○展覧会のご紹介
二年後。自然と芸術,そしてレクイエム
茨城県近代美術館(水戸)
二年前に起きた東日本大震災以前に、私たちが人間について、自然について考えていたことは、その後の二年間に大幅に再考を求められているのではないか。 それほど、突然おこった大地震は私たちのものの見方に影響を与えていると思われる。本展覧会はそのような視点から企画されたものである。
横山大観「生々流転」(国指定重要文化財)ほか。

Posted at 00:27 | 東日本大震災 |
2013.01.01

年頭のご挨拶

東日本大震災で、水戸の家の中がめちゃめちゃになる中、私はふと、壁にかけてあった小さな油彩画に目をやりました。

蝋燭の灯を描いた其れは、揺れで傾きながらも、今まで見たこともないような輝きを放ち、私の目を釘付けにさせました。

それは偕楽園の梅花が、地震当時強烈に香ってきたことと軌を一にし、私の心身を叩き起こすかのようでした。

理屈を超えた生命の力。自分は今まで何をやってきたのか。交通機関は寸断され、手の傷は重傷と診断され、為す術も無い自分への腹立たしさ。それに比べてこの絵の炎はどうか。

その瞬間、藝術の役割というものを否応無く思い知らされ、自分が為すべきことを直感しました。

平成十五年に、櫻井陽司の絵との出会いにショックを受け、突き動かされるようにして、ギャルリさわらびを開廊しましたが、あの地震の時、私は再び、櫻井の絵に出会ったのです。

開廊から十年。ただ、微力を尽くすのみです。

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

皆様にとって、かがやきある御年でありますように。

     平成二十五年元旦     ギャルリさわらび 廊主


Posted at 10:19 | 東日本大震災 |
2011.07.10

復興の音色 水戸室内管弦楽団

大震災による建物損壊のため、水戸芸術館はずっと休館したままでしたが、9日夜、水戸芸術館専属楽団「水戸室内管弦楽団」の定期演奏会が開かれ、芸術館復旧のこけら落としという意味合いのみならず地元水戸や茨城、被災地の復興への心がこめられた感動の演奏会となりました。

母の古稀祝いにと今回の演奏会のチケットを購入しましたが、母も喜んでくれ、また特別の演奏会ということもあり、演奏家や楽団員の皆さんの復興への強い気持が伝わってくるようで、それに呼応するかのような客席との一体感も相俟って、言葉にならない、何かかけがえのないものをいただいたような、そういう気持になりました。

水戸室内管弦楽団(MCO)は、フィレンツェでの演奏中の停電で会場が真暗になっても躊躇せず一糸乱れぬ「奇跡」の演奏を続けるなど、日本はもとより世界有数の室内管弦楽団としてその名を知られていますが、音楽顧問である小澤征爾さんが恩師齋藤秀雄氏から教えられたという「音楽の基本は室内楽」という、その「基本」の素晴らしさを素人である私などにも否が応でもひしひしと伝えてくれる凄みのようなものをこの日の演奏から感じました。

オーケストラでもなく、オペラでもない、室内楽での、しかも指揮者がいない場合の演奏家の皆さんひとりひとりに要求されるものは非常に高度であり、ややもすればひとりびとりが一流であるがゆえに一体となることの難しさがあるようですが、そこを昇華させひとつの藝術がつくりあげられたときの感動は、形容し難いものがあるでしょう。
今回の演奏は、その感動に匹敵するものと感じています。

アンコールのためにピアノが再度セッティングされたときには会場から感嘆の声があがり、しかも協奏曲が演奏されました。
楽団は、9日に続いて10日は水戸と東京にてクラシックとしては異例の一日二公演のチャリティコンサートを実施。
被災地のためなら何でもやるという気持が、心底伝わってきます。

日本の復興も、高い意識を持って、皆がひとつの方向へ共に歩むことで、成し遂げられるのだと教えられたような気がします。
そして震災以前よりも、よりよい日本をつくりあげていかなければなりません。

演奏家や楽団員の皆さん、小澤征爾顧問、MCO総監督の吉田秀和館長他、この日の演奏を届けてくださった皆さんに感謝いたします。

廊主


Program

ピアノ独奏:小菅優さん

J.S.バッハ:管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066

ハイドン:ピアノ協奏曲 ニ長調 Hob.XVIII-11

シューベルト:交響曲 第5番 変ロ長調 D485

[アンコール]  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番第2楽章

Posted at 14:40 | 東日本大震災 |
2011.07.10

笠間登り窯復興プロジェクトに参加して

昨日、例年より12日早く関東で梅雨明けが発表された日、強い日差しの中、茨城・笠間登り窯復興プロジェクトに参加しました。
広範囲で震度6強にみまわれた茨城県でしたが、笠間の登り窯も大きな被害を受けました。

「登窯は、笠間の窯元にある窯で、傾斜地に連房式に築いてできている。各室が煙突の働きをするため別煙突を必要とせず、窯の終わりの最上部が煙出しの役目をしている。窯の下部から焚き始め、余熱を利用しながら順次上部の室に焼成されるので、燃料の熱効率の高い型式である。大小の型式があって、窯室は10室から14室位になっている。」

今回作業させていただいた二つの窯元さんでは、窯の中から崩れた煉瓦を運び出したり、その煉瓦の接合材の削り落としや、砂と粘土などを混ぜた化粧泥をこね、それを復旧箇所に塗るなどの作業となりました。

東京や千葉からの参加もあり、皆さん汗をかきながら、土に触れ、そして復興への思いにこころひとつとなった作業だったと思います。

とはいえ、窯元さんによっては壊滅的な被害となったところもあると聞き、まだまだ復興への道のりはこれからといった様相ですが、地元の方々を中心に、多くの人々の力が、屹度復興へと導いていくものと、今回参加された沢山の皆さんの姿を見ていて感じました。

来年の登り窯祭りには、話に聞く幽玄で神々しい火に、是非遭遇したいと思っています。

窯元さんが、「火を皆で見ていると、皆がひとつになるようだ」というお話をされていましたが、その言葉に私も含め現代人が失いつつある大事なものを考えさせられました。

何かあると火を描いていた画家がいましたが、画家は火に何を見ていたのでしょうか。
また、人間は、或いは日本人は、火に何を見てきたのでしょうか。
土と共に在るということは、どういうことなのでしょうか。

窯入れの時の神への祈りは、人智を超えたものへの畏敬であり、そして自然の恵みや力への畏れであり感謝であり・・。


窯元さんや笠間登り窯復興プロジェクト事務局の皆さん、多くの参加者の皆さんに心よりの感謝を申し上げます。
そして笠間の復興と、日本の復興を祈念いたします。

廊主


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Posted at 10:33 | 東日本大震災 |
2011.04.07

 東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。また、被災された皆様へこころよりお見舞い申し上げます。

 弊廊主の故郷茨城県では広範囲で震度6強を記録し、大津波警報が発令されました。県北部や太平洋側を中心に各所で大きな被害が出ましたが、梅の名所で知られる水戸偕楽園も液状化や崖崩れなどによって、休園を余儀なくされています。

 梅祭りの最中に起きた未曾有の大地震でしたが、梅の香は変わらずに、むしろ一層、人の心に染み透るかのようです。

 梅の季節が終ると桜の便りが待たれます。

 常陸國古来の桜の名所に、国指定史跡桜川の桜があります。古くから、西の吉野、東の桜川と謳われ、東京の皇居をはじめ上野公園、新宿御苑等に桜川の山桜が移植されました。

 つねよりも春べになればさくら川波の花こそまなくよすらめ 紀貫之(後撰和歌集)

 「男体山、女体山(筑波山)の間に発する神奈備の川(男女川)が、桜川に入るとは、夢にも思わなかった私には、その水音は遠い夢の国からひびいて来るように聞こえた。・・ 桜川の花と、男女川に出会えたことは、私にとって無上の喜びであった。」 白洲正子(行雲抄-桜川匂ひ)
 桜川は、能の名曲「櫻川」の舞台でもあります。櫻川磯部稲村神社に伝わる花見噺「櫻児物語」をもとに、世阿弥が作り上げた「物ぐるひ」の能。
 水戸を流れる「桜川」は、水戸義公(光圀)が桜川の山桜に感銘を受け苗木を移植し桜川と命名しました。

 桜川匂、樺匂、初重桜、初見桜、大和桜、源氏桜、白雲桜、青桜、梅鉢桜・・・ 。
 三百年以上前には、ゑほしさくら、きりがやつ、ふけんさう、塩かまさくら、姥さくら、玉さくら、とらの尾桜、手まり桜、明ほの桜、御法さくら、一夜さくら、都わすれ、米さくら、熊谷さくら、うす桜、なら桜・・、といった名の山桜も(「つくば山恋明書并名所」より)。 

 山桜は、染井吉野には見られない、梢を手を広げるように高く伸ばす性質を持っています。
 悠久の昔から日本の山々に自生した桜。
 山中のケヤキやシイ、カシなどの高木に負けじと陽光を求め、高く伸び上がろうとする山桜。
 その清らかな姿と繊細な美しさ、そして野生。今も人知れず桜川の山々に生きています。

 山桜の野生は、その一朶一朶が、豊かで時に過酷な自然と共に在り続けた古来の日本人ひとりびとりの姿にも見えてきます・・。
  
 敷島のやまとごころを人とはばあさひににほふやまざくら花 本居宣長

 年をへて待つも惜しむもやまざくら心を春はつくすなりけり 西行



Posted at 19:53 | 東日本大震災 |