2017.07.23

ドン・キホーテ

「騎士道が途絶えて三百年過ぎた・・」(「ラ・マンチャの男」)。
十七世紀初め、セルバンテスがドン・キホーテの物語を出版したとき、西洋の騎士道は既に三百年前にその最後を迎えていました。
「武士道を創造した民族と、騎士道を創造した民族が、どうして対話できないはずがありましょうか」と語ったのはアンドレ・マルローでしたが、櫻井陽司さんがドーミエの「ドン・キホーテ」の絵を見て、「実に実におどろく。一生の内もっと早く早く見たかった」と語ったとき、其処にどのような「対話」があったのか興味深く思います。
「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」とは本居宣長の言葉ですが、武士道の民と騎士道の民の「似せがたき姿」の共振があったのかも知れません。
(櫻井陽司会通信第三号より)

Posted at 11:25 | 詩文 |
2017.05.12

静けさは心のおくそこである

どんなはげしい絵でも 静けさがなければだめだ 静けさは心のおくそこである 櫻井陽司
(櫻井陽司会通信第二号より)
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Posted at 10:20 | 詩文 |
2016.09.02

人間のなかで自らの姿を顕わさんと

メソポタミアから日本に至る印章の歴史、その美しさは、とても興味深い。富岡鉄斎の研究をしながら、彼の篆刻が諸作品に与える影響は小さくないと、個人的にかんがえています。シュメール人が印章の起源に関わるようですが、彼らの宗教思想を引いておきます。

全てのもののなかに神が潜む
神は鉱物のなかで眠り、
植物のなかで夢をみ、
動物のなかで目覚め、
人間のなかで自らの姿を顕わさんとしている。
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Posted at 10:48 | 詩文 |
2016.06.10

蕃山の集義和書

弊廊創業12年を過ぎて、今年は大きな転換の年となりそうです。後日、そのお話などさせていただきますが、この言葉のような「静」の中の情熱をもって、進んでまいりたいとおもいます。

君子は仁者の心、動なきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。小人の心、利害に落入て暗昧なり。
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Posted at 12:55 | 詩文 |
2016.05.19

画家が描いている時の心の状態

自分は今迄気がつかなかった自分の絵の見方を自覚した。それは技法・モチーフ・テーマー等には関係なく、画家がかいている時の心の状態に自分はいつも引かれたり反ぱつしたりしているのである事に気が付いた事だ。従って自分をよろこばせる絵は、これらの事に関係なくもっとまっ先に目に飛込んで来る心なのだと云ふ事を感じた。(櫻井陽司会通信第一号「櫻井陽司の言葉」より)
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Posted at 13:22 | 詩文 |
2015.10.22

瞬間

お客様で哲学を講じられる方にお勧め頂いた本に、キルケゴールの言葉がありました。印象強く残っています。
「瞬間はもともとは時間のアトムではなくて、永遠のアトムなのである。瞬間は時間における永遠の最初の反映であり、いわば時間を食いとめようとする永遠の最初の試みである」
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Posted at 15:04 | 詩文 |
2014.04.19

わたしは美のために死んだ

先の個展にて大きな刺激を受けたと仰る方から、ご丁寧なお手紙をいただきました。とても有難く拝見しました。其の中に、詩人のエミリー・ディキンスンのことと、「今ここにはない声」という言葉が記されていました。
私自身、お手紙に刺激を受けつつ、エミリー・ディキンスンのこの詩を此処に残しておきたいと思います。
廊主


わたしは美のために死んだ
(I died for beauty, but was scarce)

  わたしは美のために死んだ
  そして墓に横たわるや否や
  真実のために死んだ人が
  隣りの部屋に横たえられた

  どうして死んだかとその人は訊ねた
  美のためよとわたしは答えた
  僕は真実のためさとその人はいった
  ふたつは同じもの 僕らは兄妹さと

  そして夜に出会った親戚のように
  私たちは壁を隔てて話し込んだ
  苔が私たちの唇にせまり
  私たちの名前を覆ってしまうまで


  I died for beauty, but was scarce
  Adjusted in the tomb,
  When one who died for truth was lain
  In an adjoining room.

  He questioned softly why I failed?
  "For beauty," I replied.
  "And I for truth,--the two are one;
  We brethren are," he said.

  And so, as kinsmen met a night,
  We talked between the rooms,
  Until the moss had reached our lips,
  And covered up our names.



Posted at 13:28 | 詩文 |
2014.02.17

梅一輪いちりんほどの

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梅一輪いちりんほどの暖かさ 嵐雪(芭蕉十哲の1人)

筑波山麓での写真です。
芭蕉は「鹿島紀行(鹿島詣)」の中で、筑波山を詠んだ嵐雪の句を引き、紫山とも連歌岳とも云われる筑波山を「まことに愛すべき山」と語っています。


筑波山むかふに高く、二峰並び立り。かの唐土に双剣のみねありと聞えしは、廬山の一隅なり。

 雪は申さずまづむらさきのつくば哉
 (雪を頂く姿が見事なのは言うまでもないが、春立つ頃の、山紫に霞みたなびく筑波山は格別のものであるよ)、

と詠しは、我門人嵐雪が句なり。

すべて此山は日本武尊のことばをつたへて、連歌する人のはじめにも名付たり。
(総じてこの山は、日本武尊と火守り老人との問答唱和が伝えられて、連歌の起源に関わる山とされ、初の連歌撰集の題にも名付けられた。)

和歌なくば有べからず、句なくば過べからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。
(筑波山を眺めながら、和歌を詠まないことはあってはならない、また、句を詠まずに通り過ぎてはならない。まことに愛すべき山の姿である。)


今年は関東も記録的大雪となりましたが、百花さきがけの梅がほころびはじめています。
「さわらび」も春の訪れを告げる言葉です。
3月の企画展は、「始源へ」展。
近日中に、ご案内させていただきます。

Posted at 14:40 | 詩文 |
2013.10.16

綺麗なものを綺麗らしく描くことの汚さ

≪きれいなものをきれいらしくかく事はつまらない事でありかへつてきたなく感じる 見られ様とする絵はつまらない 絵が正しくてその正しさが見る者を正す絵が必要≫
≪自分を考へるから不徹底になる・・ 自分も捨てて何もすてて・・≫
≪「(田能村)竹田は、我が絵は拙であると言った これは単にまづいと云ふ意味ではなかろう 何かわけがあるものと思われる」ときた。これでは竹田もすくわれない・・このていどの者が著者になるのだからこまる 第一竹田の本を著して「山中人(饒舌)」をぬかしたりそのたを入れないとはまちがいである。読ませる本ではなく見せる本を作ろうとする態度がいけない≫
≪ゴオホ(ゴッホ)は絵をかく事が社会のためになることだと信じていた (富岡)鉄斎もそうである≫
櫻井陽司
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どんな境涯にあっても、公の心を失わない。私意を去り、モチーフそのものに没入する。「松の事は松に習へ」と云った芭蕉は、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶に貫道するものは一なりとした。則天去私。そのことであろう。造化に随え。其れ故其処に詩が生まれ、剣をたばさむ。自然は美しく、そして峻厳だ。櫻井藝術には、詩があり、そして剣がある。先人たちの道ゆきを思うと、私はその畏ろしさに身震いがする。
Posted at 00:02 | 詩文 |
2013.05.20

ベーコン、土方、ゴッホ・・

「こんなことが気になって仕方がないんだ。どうやったら、まったく理性的ではないやり方で作品をつくることができるのだろう?見た目の上だけでイメージをつくり直すのではなくて、わたしたち自身が把握しているあらゆる感覚の領域をつくり変えたいんだ。」フランシス・ベーコン

それは徹底して理性的であろうとする態度の中から生まれるものではないか。理性的であることを忘れるほどの徹底さから。理性主義と其れとは紙一重かも知れないが、天地の開きがある。
ベーコンとの連関が指摘される「舞踏」は、その徹底さゆえに人間の理性を超越する。人間の理性を恐れ、そしてその「領域をつくり変え」る、若しくは「忘れる」(更には殺す)ことによって決定的に広がる世界を畏れ、同時に其処に遊ぶのだ。理性が不要なのではなく、「殺す」ために生かすのである。

「舞踏とは命がけで突っ立った死体である。」土方巽

「偉大な芸術は人間の置かれている状況がいかに脆いかをきちんと思い出させてくれます。」フランシス・ベーコン

「ファン・ゴッホの肖像のための習作」(ベーコン)の連作には、其の「脆さ」の移り行きがある。それは脆いがゆえにかがやく、四季のうつりのようだ。脆いがゆえに移り行き、移り行くがゆえに途絶えない。脆いものを堅く強固に装えば、結果其れは滅んでゆく。脆さゆえのかがやき、その光の受け継ぎこそが、実は真のつよさ(勁さ)ではないだろうか。

「彼らみずからが花のように自然の中に生きていく。こんなに素朴な日本人たちが我々に教えるものこそ、真の宗教とも言えるのではないか。もっと自然に帰らなければいけない。」ファン・ゴッホ


フランシス・ベーコン展 Francis Bacon
2013.3.8-5.26
東京国立近代美術館

櫻井陽司さんにとっても、ゴッホはかけがえのない存在でした。櫻井陽司展、最終週となります。
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Posted at 12:11 | 詩文 |