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2019.09.30

人間は横のつながりより縦のつながりが大事なのに、彼は横ばかりふりかえっている(櫻井陽司:櫻井陽司会通信第7号より)
Posted at 13:39 | 詩文 |
2019.06.21

薔薇と蓮華

西洋で薔薇であるものは東洋で蓮華である。どちらも光を表している。(ユング)
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天の岩戸神話や、マルローが言った光の蘇りたる日本をおもいます。日本は永遠に、光が洞窟から再現する瞬間を持っている、と。
Posted at 08:43 | 詩文 |
2019.04.17

ノートルダム・ド・パリ

(本日の産經抄より)
『パリは燃えているか』。ルネ・クレマン監督の往年の映画は、ヒトラーの実際の言葉が、タイトルになっている。占領下に置くパリの死守をナチス・ドイツ軍の司令官に命じていた。

 ▼それが不可能になった時には、凱旋(がいせん)門など重要施設をことごとく爆破せよ、とも。実際ノートルダム大聖堂の地下室にも、3トンもの爆薬が仕掛けられていた。連合国軍によるパリ解放の報を聞いたヒトラーは、命令が実行されパリが廃虚となっているのか、周囲に確かめたのだ。

 ▼パリを救ったのは、一人の英雄ではなかった。ヒトラーの命令を先に延ばしたドイツ軍司令官をはじめ、多くの人々がかかわっている。映画の原作となったノンフィクション作品(ハヤカワ文庫)のあとがきで、訳者の志摩隆さんが指摘していた。奇跡を起こしたのは、「文化や芸術作品がもつ力」ではないか。

 ▼1345年に完成したノートルダム大聖堂は、ゴシック建築を代表する建物とされる。とはいえその価値が理解されず、朽ち果てる寸前だった時代もある。人々の関心を大聖堂へ向け、修復工事が行われるようになったのは、文豪ビクトル・ユゴーの力が大きい。

 ▼大聖堂を舞台に、踊り子のエスメラルダをめぐり、鐘つき男のカジモドや副僧正、青年士官が恋の葛藤を繰り広げる。小説『ノートルダム・ド・パリ』は長く読み継がれてきた。現在は観光大国フランスでもえり抜きの名所となり、世界中から年間約1200万人が訪れる。

 ▼15日夕方に発生した大規模な火災によって、大聖堂の屋根や尖塔(せんとう)が焼け落ちた。全壊は免れたものの、現場には涙を流しながら聖歌を歌う市民の姿もあった。再建のために、文化や芸術作品がもつ力が再び奇跡を起こす時である。

Posted at 12:18 | 詩文 |
2019.04.03

令和、万葉集

令和という元号が、国書、万葉集からとられたことは、とても意義あることだとおもいます。時代が非常に大きく変わりつつある今、そのことをあらわしているようにも感じます。さわらびという名も、16年前、万葉集からとりました。令和は梅、さわらびは蕨、共に、季節は春です。きびしい冬を経て、春に咲き、かがやく風情が、万葉集の歌に詠まれています。天皇から庶民までの多くの人々の歌が、万葉集という一つの詩歌集に収められており、しかもこの時代にそれがなされていることは、世界に類が無いものです。和歌の下の平等という言葉がありますが、日本の古くからの国柄や文化をあらわしているように思います。これからの新しい時代は、今までに経験の無いほどに新しく、それでいてなつかしい、そういう直感があります。
Posted at 11:36 | 詩文 |
2018.08.26

三つの堕落

トルストイは芸術の三つの堕落として、内容が深い宗教性を失い貧弱になったこと、恐ろしく気取った排他的でわけのわからないものになったこと、率直さを失い技巧的になり模倣に堕したこと、と語っています(『藝術とはなにか』)。どれも大変示唆的ですが、三つ目の堕落について、報酬目当てに作られ、藝術家がある強い感情を自ら経験することを機に作られるものではなく、模倣によって生産する職人と化すとしています。「売れると云ふ事は考へなければいけない」という、櫻井陽司さんの言葉を重ね合わせることができるでしょう(櫻井陽司会通信第5号より)。
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Posted at 19:29 | 詩文 |
2017.12.04

雪の日

「二〇才頃であつた 雪の日の府美術館で佐伯祐三と富岡鉄斎の遺作展が開かれていた 雪のため誰も人はいなかつた 一日ゆつくりと見る事が出きた この事によつて自分の生涯は変化したのである」(櫻井陽司)。
[櫻井陽司会通信第四号より(今月発送)]
Posted at 22:35 | 詩文 |
2017.08.21

ドン・キホーテ

「騎士道が途絶えて三百年過ぎた・・」(「ラ・マンチャの男」)。
十七世紀初め、セルバンテスがドン・キホーテの物語を出版したとき、西洋の騎士道は既に三百年前にその最後を迎えていました。
「武士道を創造した民族と、騎士道を創造した民族が、どうして対話できないはずがありましょうか」と語ったのはアンドレ・マルローでしたが、櫻井陽司さんがドーミエの「ドン・キホーテ」の絵を見て、「実に実におどろく。一生の内もっと早く早く見たかった」と語ったとき、其処にどのような「対話」があったのか興味深く思います。
「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」とは本居宣長の言葉ですが、武士道の民と騎士道の民の「似せがたき姿」の共振があったのかも知れません。
(櫻井陽司会通信第三号より)

Posted at 19:50 | 詩文 |
2017.05.12

静けさは心のおくそこである

どんなはげしい絵でも 静けさがなければだめだ 静けさは心のおくそこである 櫻井陽司
(櫻井陽司会通信第二号より)
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Posted at 10:20 | 詩文 |
2016.09.02

人間のなかで自らの姿を顕わさんと

メソポタミアから日本に至る印章の歴史、その美しさは、とても興味深い。富岡鉄斎の研究をしながら、彼の篆刻が諸作品に与える影響は小さくないと、個人的にかんがえています。シュメール人が印章の起源に関わるようですが、彼らの宗教思想を引いておきます。

全てのもののなかに神が潜む
神は鉱物のなかで眠り、
植物のなかで夢をみ、
動物のなかで目覚め、
人間のなかで自らの姿を顕わさんとしている。
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Posted at 10:48 | 詩文 |
2016.06.10

蕃山の集義和書

弊廊創業12年を過ぎて、今年は大きな転換の年となりそうです。後日、そのお話などさせていただきますが、この言葉のような「静」の中の情熱をもって、進んでまいりたいとおもいます。

君子は仁者の心、動なきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。小人の心、利害に落入て暗昧なり。
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Posted at 12:55 | 詩文 |