2010.07.28

アルベルト・ジャコメッティと富岡鉄斎

≪思えば、ジャコメッティの仕事は、そもそものはじめから死にいたるまで、死との格闘にほかならなかったのではないだろうか。彼はいたるところに死の恐怖を見、同時に、死を克服し、死者をよみがえらすために、日夜、悪戦苦闘したのではないだろうか。「ジャコメッティの彫像はひとりの死者の通夜をしている」と書いたジャン・ジュネは、おそらくこのことを洞察していた。彼はこうも書いている。「ジャコメッティは同時代の人々のために仕事をするのでもなければ、来るべき世代のためにでもない。彼は死者たちを遂に恍惚たらしめる彫像を作るのだ。」≫
(矢内原伊作『ジャコメッティとともに』)

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富岡鉄斎の作品に出会ったとき、私はそれが墓標のように見え、或いは死者たちと共にある祭のように思えたことがあります。
二十世紀最高の芸術家と云われるアルベルト・ジャコメッティと、十九世紀世界三大画家と云われる富岡鉄斎ですが、両者は共に、自身が生きた現実社会の問題を徹底的に考察し、そしてそこにいたる歴史というものを知っていました。
死者たちは歴史の中にいます。長い歴史が現代に通じています。
「現実」を捉えようとしたジャコメッティは、作品が完成するということを知りませんでした。作品をつくることが問題ではなく、終わりの無い仕事をつづけることが、彼の全てでした。それは死者たちの歴史の道行きを、彼自身が生きることでもありました。
鉄斎は、自分が画家だということを最期まで認めませんでした。生涯に一万点以上といわれる作品群は、古典や歴史を中心とした彼の学問そのものであり、幕末明治大正という激動の時代を生きた鉄斎の同時代への思いと同時に、歴史の中の死者たちと共に在ろうとする強い意志に基づくものでした。
両者の作品は、その結果として産み落とされたものです。その結果として、最高の「芸術」と評価されようが、ふたりはそういうことにあまり関心はないでしょう。
動機があって、結果があるでしょう。
ふっと、近くの美術館に常設されたジャコメッティの彫刻を見に行きたくなるときがあります。「現実」を知るために、「歴史」に会いに行くような、そういう感じがあるのです。

鉄斎美術館
鉄斎美術館開館35周年記念 鉄斎―粉本(ふんぽん)に見る学びの跡―
会期:2010年5月12日(水)~8月1日(日)