2013.10.16

綺麗なものを綺麗らしく描くことの汚さ

≪きれいなものをきれいらしくかく事はつまらない事でありかへつてきたなく感じる 見られ様とする絵はつまらない 絵が正しくてその正しさが見る者を正す絵が必要≫
≪自分を考へるから不徹底になる・・ 自分も捨てて何もすてて・・≫
≪「(田能村)竹田は、我が絵は拙であると言った これは単にまづいと云ふ意味ではなかろう 何かわけがあるものと思われる」ときた。これでは竹田もすくわれない・・このていどの者が著者になるのだからこまる 第一竹田の本を著して「山中人(饒舌)」をぬかしたりそのたを入れないとはまちがいである。読ませる本ではなく見せる本を作ろうとする態度がいけない≫
≪ゴオホ(ゴッホ)は絵をかく事が社会のためになることだと信じていた (富岡)鉄斎もそうである≫
櫻井陽司
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どんな境涯にあっても、公の心を失わない。私意を去り、モチーフそのものに没入する。「松の事は松に習へ」と云った芭蕉は、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶に貫道するものは一なりとした。則天去私。そのことであろう。造化に随え。其れ故其処に詩が生まれ、剣をたばさむ。自然は美しく、そして峻厳だ。櫻井藝術には、詩があり、そして剣がある。先人たちの道ゆきを思うと、私はその畏ろしさに身震いがする。