2009.11.23

鉄斎画

京都便利堂さんから今年発売のDVD『鉄斎画(てっさいのえ)』を見ました。幾つかの作品と共に「層巒雨霽図(そうらんうせいず)」という水墨画が紹介されています。鉄斎は八十九年の生涯にその作一万点以上といわれ、晩年の作品が多く、また晩年のものほど評価が高いようですが、「層巒雨霽図」は、鉄斎三十二歳の作品です。丁度幕末維新の頃に描かれたこの作品には、みずみずしい清澄な生命力と共に、突き抜けたような純粋ななにものかを感じ、何度も繰り返し見てしまいました。それは畏れとも言うべき、「芸術」などという造語とは縁もないような、かけがえのないものに感じられました。鉄斎は尊皇画家とも言われますが、自分は画家ではなく学者だと生涯言い続け、幼少の頃から尊皇の志篤く、幕末には尊皇の師友が安政の大獄で多く処刑されており、尊皇の志士たちへの熱い思いを持ち続けていました。耳の病気等の為に鉄斎は直接的には彼らと共に行動出来ず、それ故に学問の道に進み絵を志すようにもなりましたが、鉄斎のこころにはいつも一筋の確固たる流れが脈々とあったのだと強く感じています。それは「万巻の書を読み、万里の道を往く」ことで培った、連綿と受け継がれてきた日本の歴史の精神です。現代日本が置き忘れてきたものを、鉄斎はその身一つで生ききりました。だからこそ生まれた作品群でした。「層巒雨霽図」は、鉄斎がもしかしたら運命を共にしたかも知れなかった幕末の志士たちの、師友たちの、墓標にも見えてきます。そしてそれは「画家」の「作品」ではなく、日本の歴史精神そのものと云えるでしょう。作品の中に最早鉄斎は無く、いにしえより受け継がれてきたこころがあり、祈りがあり、そして後世に息づく勁さと新しさがあります。だからこそ鉄斎は今も世界を魅了しています。遺されたものを受け継ぐということがどういうことなのか、鉄斎の生き方とそして作品がそれを伝えてくれていると、そう思うのです。