2011.11.06

「対話から」

「今東京の街中で絵を描いている人はあまり見あたりません、私は南千住のガスタンクの下であぐらをかいて描いていました、近所の女の子が来て『おじさんご飯を食べた?』と聞くのです、私は『おじさんは夜だけ食べるんだよ』と云いました、少女は消えて、少したって、するめの足を焼いたビールのおつまみの様なものを持って来ました。そして『おじさん食べなさい食べなさい』と云うのでした、絵具だらけの私は浮浪者と思われたのです、それがわかったのでお礼を云って噛みながら描くのでした、私は少女の心は美しいと思いました。同時に街で描く人がいなくなったことを感じました。」

「リアリズムは形式でなくて、あらゆる形式がリアリティーをもつべきで、さもなければその絵は弱いと思います。」

「頭の中にコンパスや定規のある様な、用意された絵はあんまり好みません。対象にぶつかって飛び散った血液のような、切実な絵が好きです。」

「どの線を引こうか、と目で考えると同時にどの線を引くまいか、と目で考えるのです、まちがった線を引いた時罪悪を感じるのです、対峙したものにすいこまれる様に無心に引けた線がいゝです。」

『今日のほとんどすべての画家は、主観をすてて自然を忠実に模写するかわりに、ひたすら主観を表現しようとする。絶えずこれまでになかった新しいものを求め、他人に似ることを恐れて個性的であろうとする。結果はどうか。今日の展覧会で見たように、現代の絵画は千差万別のようでいて不思議にどれもこれも同じように見える。個性的であろうとしてかえって非個性的になっている。新しいものを求めながら古いものを繰り返している。殊にアブストレの絵がそうだ。アブストレの若い画家たちの多くは自然を模写すれば通俗的になると思い、通俗的になるまいとして主観的個性的な絵を描こうとする。ところが実は、それによってかえって通俗的になっているのだ。事情は全く逆だ。セザンヌは個性的であろうなどとは少しもしなかった。彼は主観を捨てて自然を忠実に模写しようとしたのだ。しかし結果においてセザンヌの絵ほど個性的なものはほかにない。』・・・・・(ジャコメッティの言葉、矢内原伊作「ジャコメッティと共に」)
「すばらしい言葉だと思います。」


櫻井陽司画集(昭和49年発行) 「対話から」より